I'll walk, but not in old heroic traces,
And not in paths of high morality,
And not among the half-distinguished faces,
The clouded forms of long-past history,I'll walk where my own nature would be leading:
It vexes me to choose another guide:
Where the grey flocks in ferny glens are feeding;
Where the wild wind blows on the mountain side.--- from Stanzas by Emily Jane Bronte ---
聴くだけでは・・・,演奏でも,と思ってしまうのですが,今さら子供のころの下手なピアノでもないし
(指の訓練を怠って好きな曲だけ弾いていたという反省から,練習中心になってしまいそうで,その時間を捻出できないため),
理工系にいるのですからシンセサイザーをはじめようかしら・・・,と思いつつ日々が過ぎてしまいました.
私自身には詩人の傾向はありませんが,高校生のころ,次の文章が自然と沁み込んできました.
自らの内へおはいりなさい.あなたが詩を書かずにはいられない根拠を深くさぐってください.
もしもあなたが書くことを止められたら,死ななければならないかどうか,自分自身に告白してください.
何よりもまず,あなたの夜の最もしずかな時刻に,自分自身に尋ねてごらんなさい.私は書かなければならないかと.
そしてもしこの答えが肯定的であるならば,... そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ちたてて下さい.
高校生だったとき, 父が旧制の高等学校か大学のころの教科書・参考書と思われる旧仮名遣いの哲学書(当時はドイツ哲学)や世界思想体系の全集 (「理系」のプリンキピア,種の起源,相対性理論,精神分析などが「文系」の思想全集に入っていることに不思議な感銘を覚えました), その他にはギリシャ神話や日本古典文學体系の全集など,をながめ, 自分では自由に扱えない硬直化した観念に頭が支配されていました. 思考の自由と柔軟性を回復しなければならない,と思っていたころ,上記の文章は素直に入り込んできました. 受験勉強が終わったら,斜にしか考えられなかった受験勉強が終わったら・・・, いったん本を捨て,自分が何をしたいか内から湧き上がってくるものを待とう, という思いはそのころ形成され,以後の基本姿勢となりました.
情熱とその成就における魂の結びつきの物語に,10代前半のころ深い感銘を受けました.
平安の少女たちが「源氏物語」を(更科日記の著者のように)心ときめかして読んだように,
英国ビクトリア朝の少女たちはこの物語を(禁止されても密かに)読んでいたのでしょう.
家父長的「哲学思想」の幻想が崩れ,対立的「社会思想」が消滅しつつある現代社会において,
ジェンダー平等,ダイバーシティ包含,ポスト・コロニアリズム,宗教間対話,へと向かう今,
「魂の結びつき」へのノスタルジアが生じるのは,配偶者/partner は別人格と考える現代人の渇きゆえでしょうか.
と,最近よく使われるカタカナ用語で気恥ずかしさを覆い隠しながら,
周辺書を含めつつ,今あらためて振り返ってみると・・・
これを読んだ当時の田舎の女子中学生にも,
米国のWomen's Lib.(フェミニズム;⇒ジェンダー平等)やアフリカ系米国人の公民権運動(マイノリティ権利運動;⇒ダイバーシティ包含) のニュースが耳に入るなかで,
深い信仰を支えに,神の前での平等という信念から,階級や性別を超えて女性の語る権利を主張し, 孤児の女性と由緒ある地主階級の男性との結婚という(当時の)女性にとっての世俗的成功物語となる,
において,ビクトリア朝規範の型空間におけるゴシック・ロマンスの純粋さと重厚さは印象に残ったものの,関心は他に移っていきました.垣根をやすやすと乗り越えたかのように見える女性達がいるのですから. ソーニャ・コワレフスカヤ(数学者),マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク(著作家),ルー・ザロメ(著作家),などなど. 彼女達は,女性のモラルという型式には収まりません. が,時代の波の中にいました. 特に最後の方は,モラルに挑戦したかのような自己探求の旅を経て,家父長思想の精神分析学に何を付加したのでしょうか.その頃,ロマン・ロランによる「魅せられたる魂」に頭が占められていきました. 高等教育を受けた中産階級の女性が,自らの感性からシングルマザーを選択し,破産して階級を落ちていくものの, 個人の信念から,のちには社会思想を受け入れ,強く生きていく物語に. というよりも,その力強い文体に圧倒されて. それを皮切りにフランス文学やロシア文学の大作を次々に読んでいきましたが,現在ほとんど忘れています。
恵まれた出身の女性が自らの感性や信念や意志から破天荒とも見える行動に及び,時代が後からついてくる, ということが,私達の国の近代であまり見られないのは何故でしょうか. いえ恵まれた層だけではありません, フランス革命の『人と市民の権利宣言』いわゆる『人権宣言』を国王に認めさせたのは「パンをよこせ」の大衆女性群でした. ただし近年指摘されるように,この『人権』は白人の家父長の人権であり,Homme (Human/Man) を Homme et Femme (Man and Woman) などに置き換え『女性と市民の権利宣言』を記し「男性よ,公正たりうるのか」「女性よ,目覚めよ」と付した女性は処刑されたそうです. 200年進んでいたオランプ! (オリヴィエ・プラン著「オランプ・ドゥ・グージュ −フランス革命と女性の権利宣言−」辻村みよ子監訳)
「女について」で皮肉な見方を披露したショーペンハウエルですら,難事件を婦人に相談する古代ゲルマンの風習は一目置くべきとし, 婦人は(男性が見逃しがちな)身近なもの(のみ)を眼中に置き,冷静であるから,とひねって単純化しすぎた見方で理由を述べています. しかしながら「女性間には生まれながらにして敵意が存在する.これは女性全体が夫を獲得するというただ一つの職業に属するためである」 という趣旨に至ると,田舎の素朴な女子中学生には,別世界のこと(空間的・時間的に限られた事例の一般化)のように思えました. ・空間的: 彼が生まれ育った(当時ごく少数の)中産階級の社交界の女性しか,目に映らなかったのでは? (最近読んだ解説では,夫の死後別の男性と同居した閨秀作家の母親へのあてつけに満ちているという.他方, 当時読んだ解説では,無知な母親は彼の価値がわからず家の階段から突き落として追い出した,という記述があったような・・・) ・時間的: 家父長の権利が最も強かった(中産階級台頭の)時代における観察なのでは? (最近よく耳にする上位者への『忖度』は,男女とも同じような比率で現れているように思いますが)
"家父長"の文脈で(気が重いけれど)マルクスを出すのは,階級闘争において家族制は支配層の温床であるとした点で,必然でしょう. 貴族出身の妻の恩恵を生涯受けたように思われる彼は,後に生じた"家族解体論"に対し,どの程度具体性を与え得たのでしょうか. 現在,対立的「社会思想」の一方の原型は(Aufhebenされたのでしょうか)消滅しつつありますが,家族制度の行方はいずこに・・・ このテーマに関わる欧米での層の厚さ(例えば,https://en.wikipedia.org/wiki/Marxist_feminism )に対し, この国では上野氏の気炎が目立ちます(上野千鶴子著「家父長制と資本制--マルクス主義フェミニズムの地平--」「近代家族の成立と終焉」) "個人主義"に属するであろう当方がこれ以上長居するのは失礼にあたりかねないので,ここにて退出.
さて,「ジェイン・エア」という,英国の膨張成熟期において"愛と家庭"を探求する物語に対して,現代の倫理観のもとでは以下の問が生じます.
1) 狂った妻を屋根裏に閉じ込め存在を隠したMr.Rの,Janeに対する申し開きでは,
1-1) Mr.Rが狂女となる妻を娶ったのは,持参金目当ての親兄弟に騙されたためであった. ==> 本当にMr.Rに責任はないのか?
1-2) 妻が狂った原因は遺伝的なものであり,これすら両家は隠していた. ==> 南方植民地という異環境で育った女性に対するMr.Rの無理解さも一因ではないのか? 2) Mr.Rが,高慢で美しい貴族の令嬢Iとの婚約を匂わせ,Janeを崩してJaneから告白させることにより,重婚へと向かうのは, Janeが孤児という社会的弱者であることを利用したためではないか? 3) Mr.Rの妻の狂女の死によってJaneの結婚が可能となった.これはハッピーエンドたりうるか?
1) に対して,ジーン・リース著「サルガッソーの広い海」(小沢瑞穂訳) は,ひとつの状況を提示しています。カリブ海の島々での農園主であった現地化白人は,宗主国英国での奴隷廃止令の前後に没落していき, アントワネットの母親の館は混乱のなか現地人の放火襲撃をうけ, 母親は恐怖と障害者の息子を亡くした悲嘆から狂気に陥りました. アントワネットは子供のころの悲惨な体験を経て修道院に預けられて育ち, ジェインと同様に無垢で,そのうえ美しく背が高く裕福でしたが,決定的な相違として意思の欠如があります. カリブ海の農園主であった母方家系と,Rに似た事情でカリブ地域に来た英国人父親を持つ作者は,二人の女性に似た生い立ちを設定し, アントワネットの乳母である現地人呪術師から,バーサ・アントワネットの夫となった英国紳士に,話をつけさせようとする. 無理解さ,計算高さに対して. 英国人夫: 「彼女が憎かった.ここの魔法とここの美しさに属していたから. 彼女は僕を渇いたままほうり出し, そのため僕は見つける前に見失ってしまったものを求めて渇き続ける人生を送ることになる」 【恐るべし,ジーン・リース: 本編が規定されてしまっている!!! 光源氏のような遍歴動機を与えることによって】2) Rは自らの足枷のためか,あるいはジェインを試し感情を引き出すためか,自分からは言い出さない. ジェインは悲嘆から怒りを爆発させ,Rのもとを去ろうとする.子供のころ義理の伯母の家を出たときのように,しかしこの時には, 「あなたの魂に話しかけているのは,神の足もとに立ったときと同じく,平等な,私の魂なのです」という『フェミニスト宣言』となって. 互いに愛を確認しあい結婚の約束を交わした後,Rはつぶやく. 「それは償いをするだろう【何に対して?】.… 私の胸には愛がないであろうか,私の決意には不変性がないであろうか?【敢えて直訳】 神の審判でそれはあがなわれるだろう.神は私の行為をお認めくださるであろう.世の判断や人の意見は問題ではない.」 と,狂った妻が存在する中でのジェインへの愛の不変を自問自答する.不安を表すかのように木々は風にざわめきもがく. この前半のクライマックスに至るまでの物語の進行(以下)において,(現代の基準では)Rが望みを遂げるために絶望的な事情をJaneに話さずに 大細工を弄したことが問題なのであり,RがJaneの社会的に弱い立場を故意に悪用したようには読めない.義理の伯母の家庭で疎外されて育ち,慈善学院へ送られてからは, ジェインは自身を尊重して努力し周囲に受け入れられ,神に従うことによって疎外された弱者であることを克服してきた. Rが親代りをしているアデェルの家庭教師の職を得てRの館に移り,ジェインの中に学院での友ヘレンの信仰(死を受容した無条件の赦し) を感じてか,Rはジェインを尊重し育むとともに,自らの過去の過失の打ち明け相手とし,魂の浄化と救済願望をジェインに投影していった. 初期の会話において,Rは「悔改めではなく改革が療法かもしれない.私は幸福を断念させられているからには,快楽を引き出す権利がある」 真夜中に,JaneはRの部屋の火事に気づき一緒に鎮火した翌朝,Rは館から姿を消した.その後,豪華なホームパーティーを催すために, 貴族令嬢Iの家族を含め近隣の名士を引き連れて戻り,RはI嬢との結婚を匂わす.ジプシーに扮したRはジェインに占いを行ってつぶやく. 「私は計画を立てた.幸福の盃に1滴の恥でもあれば,花は枯れしぼんでしまう.私の収穫は微笑と愛情と甘美の中になくてはならない…」 ジャマイカから訪ねてきた狂女の兄が,真夜中に屋根裏で狂女に襲われ,館から発った後の夜明け方,介抱を手伝わされたジェインに Rは問う,「さすらい罪深いけれども今は悔い改めた男が再生するため未知の人と繋がるのに,世の意見を無視してよいでしょうか」と. 信心深いジェインは,「安住し改心するには人に頼ってはいけないのです.それよりも高いものに力を求めますよう」 ジェインは義理の伯母を看取るために,パーティーの最中にRの館を離れ,戻ってきた時には, 「あなたのいるところが,そこがどこであれ私の唯一の家庭です」と衝動的に嬉しさをRに伝えた. 婚約後は,世間の欺瞞を軽蔑するバイロニストRの一途な情熱は,ジェインを自分の保護下に置くことに向かった. アデェル向のお伽話で 「私を幸福にするという妖精は,この世から出て月の世界で天国を作りましょうと言うんだ」と,館から離れる意向が示唆される. しかしながら,結婚式中に重婚が判明した後,孤児ジェインのプライドの最後の拠所は,規範を守ることでした. 【現代であれば,女性の尊厳を維持する形態も可能かもしれませんが】大野房江:『ジェイン・エア』の物語構造と「主の祈り」,日本大学大学院総合社会情報研究科紀要,No.8,411-422(2007). では,Janeの回想により書かれたこの物語は,「主の祈り」 (神への呼びかけ,6つの祈祷,重厚な結び)に深く関連して進行しており, JaneはRの館に着いた最初の晩に,これから起こる危機を回避するかのように,祈りを捧げたことを指摘しています. 3) について,サンドラ・ギルバート/スーザン・グーパー著「屋根裏の狂女」(山田晴子/薗田美和子訳) で1つの解が示されています.この著作は,文学において家父長制度がどのような影響を与えたかについて, その題どおり「ジェイン・エア」を中心に置いて論じています. 屋根裏の狂女バーサはジェインの陰の分身, つまり子供のころ虐待されて赤い部屋で錯乱状態に陥った,学院で学ぶ以前のジェインそのもの, という主張は,フロイト流精神分析とともに知られています. バーサは抑圧者であるMr.Rとその館を焼き払おうとするが, これは自由を望むジェインの心の奥深くに隠された願望でもあったと. バーサはそれを実行したのみならず,自分自身をも消滅させました. とすれば皮肉なことに,ジェインの幸福のためには, バーサの退場のみならず,愛するRも抑圧者として消滅しなければならない. 作者シャーロットは火災後のRの隠遁生活に妥協解を見出したのであろうか,と著者は問う. ジェインは,館から逃げて荒野をさまよい夜空の銀河に向かってRのために祈り,St.Jに命を救われた. 伯父の死により遺産を得て経済的に独立し,同時に従兄妹と判明した地方の旧家の末裔 St.Jとその妹達と家庭を形成した. 他方Rは,火災でバーサを救出しようとする最中建物が倒壊し,視力と片腕を失った. 死の谷間を通り,後悔(remorse)と悔改め(repentance)を経て,祈りの境地(reconcilement to God)に達していた. JaneがRと会話を交し始めたころの教理問答のような返答どおり,後悔と悔改めを経て. 湿気深く不健康で狂女を隠すにさえふさわしくないと,かつてRが考えていた森の奥の別邸で2人は再会・結婚し,互いに信頼を捧げあい, first-born boyがかつてのRの,大きく輝く黒い目を受け継いでいるのを,彼自身の目で見られるまでに回復した. 【シャーロットはビクトリア朝の規範に受け入れられるよう,家父長Rへの世俗的恩寵(跡継ぎの誕生) と結婚・家庭の至福を 「結び」としたのでしょうか】前述の大野氏の考えでは, Rの呼ぶ声を真夜中に霊的に聞いたジェインは,「見失った羊」あるいは「放蕩息子」を案じて戻り,悔い改めたRに再会するのであり, 新約聖書では悔い改めた人々は喜びをもって無条件に赦される. 森の奥での再会と生活は,RとJaneの「主の祈り」における「重厚な結び」を構成する. 【罪−罰−改悛−赦し,の結末は宗教倫理的ですが,初めから結びまで「主の祈り」に沿って物語は進行しているという見方は興味深い】
「問12、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい」 川北天華 という約10年前に発表された短歌が,ネットやtwitterで評判になっていったそうです. 高校生のころに詠んだ歌を理学部に入学してまもなく歌会で発表したものらしいのですが, 約2年前,同じ作者名で次の文献が発表されています.
川北天華: 『ジェーン・エア』におけるvisionの力 ―シャーロット・ブロンテの想像力の表現について―, 京都大学学術情報リポジトリ,人間・環境学,第27巻,101-114,2018.「ジェイン・エア」では,いたるところに予兆が記述されています. またブロンテ姉妹の作品では,感情は自然の風景描写とともに表され,詩的・絵画的であることはよく指摘されています. 著者は,power of vision という表現に着目し,興味深い指摘を行う: Rが選び出したジェインの3枚の水彩画にも予兆が示されており, Rが空想画のvisionを認めてくれた初めての男性だったゆえに,ジェインは惹かれていったと. 中断されたRとの結婚式の後,永遠に戻らないと決心したにもかかわらず,再びRに会いに行くのは, St.Jの氷のような求婚の最中,Rの声を聞き魂を揺るがす感動にみまわれたためでした. (月光さす真夜中12時ちかく,Rは祈りの中でジェインの名を叫び,風にまじって返答を聞いた) 著者の表現では,結婚したのは,Rとならジェインが求めていたvisionの共有が叶うから,と それのみによる必然性を強調する. ジェインが最後にはvisionを共有できる相手を探し出したように, シャーロットもvisionを共有できる読者と繋がることができた, これが「幸せな結末」であることは明白であろうと.【最終問】 G.C. Spivak,"Three Women's Texts and a Critique of Imperialism," Critical Inquiry, Vol. 12, No. 1, (Autumn 1985), pp.243-261. によると,ジェインが英国の物語における個人主義フェミニストのヒロインになることができるように, ジーン・リースのバーサは good wife として自己犠牲をとげたという. もし,Mrs.R(バーサ)が館の火災を生き延びていたとしたら,ジェインはどうしたでしょうか?
特に日本では,東京オリンピック開催に関する騒動のおかげで,ここ数か月で「ジェンダー平等/ダイバーシティ包含」という言葉の認知度は急速に高まりました(実体はさておいて).
また最近,かつての人気TVドラマ「おしん」を橋田氏追悼特集で初めて見ましたが,忍耐の限界に達した時は逃亡し次の段階に導かれるという『恩知らず』な特性は,Janeと共通のようです.
これもまた半世紀ぶりに読み返したヴァージニア・ウルフ著「私だけの部屋 ―女性と文学―」では,「jane Ayre」を創作の傑作と認めながらも,
文中に作者の不満が見え隠れして不自然であり,
当時の女流作家にありがちなように真ん中に疵があり自己の価値を変えて他人の意見に敬意を表している,など欠点を指摘しています.プロの作家たるウルフには許せない事柄かもしれませんが,
前者は,Janeの回想のなかで成長過程に応じて作者の感情が投影され,
当時の子女教育を受け近代女性となったJaneが初めて社会に出た時ホラーの館にいた,という不条理を混ぜたシーンでしょう.
後者について,ビクトリア朝規範への敬意が時々現れることはさておいて,
今日の世界史的倫理観や精神医学的知識なく見聞を反映させた瑕疵は,情熱の強さにより凌駕されているようです.
Mr.Rの謎も含め前日譚や後日譚が出され,「jane Eyer」は Open Source として膨らみ続けているのですから.
(ブロンテ3姉妹が才気あふれる弟とともに子供のころの遊びとして人形に名を与え,空想の国の物語を詩を交えて書きあい膨らませていったように)
小学校の卒業文集の巻頭に,クラス担任が載せたものです.
当時はガリ版原稿をクラス委員が作成したのですが,いつの間に含めたのかしら・・・?
歩いた途 私の歩いたあとには 花が咲いた 私の歩いたあとには 泉が湧いた 私の歩いた時は 荊棘の途であったが 私の歩いた時は 石くれの道であつたが こんな美しい花が 咲かうとは思はなかった こんな清らかな泉が 湧かうとは思はなかつた たゞ一歩一歩省みて 静かに歩いた ただ一瞬一瞬,心から 踏みしめて歩いた 私はやはり いい途を歩いたのだらう 荊棘の刺にもさされたけれど 石のかけらにも躓いたけれど
手塚治虫「リボンの騎士」,水野英子「白いトロイカ」,西谷祥子「りんごの並木道」「学生たちの道」,萩尾望都「すきとおった銀の髪」「ポーの一族」 と記憶に残ったものを並べてみると,いかにも「世界少年少女文学全集」の内容系統のようです。 家庭では漫画を表立って読めなかったころ, 萩尾望都の表現(「情感の余韻」を残す言葉と絵,「運動」を感じさせる絵,「歴史考証」がなされたかのような衣装)に至って, 少女漫画は「文学+α」になったか・・・の感を持ち,大学生になってから確認のため読み返して,その感を確信。
ポピュラーになってしまったので,削除。
Italian (Original) Che sara Paese mio che stai sulla collina, disteso come un vecchio addormentato la noia, l'abbandono, il niente son la tua malattia, paese mio ti lascio io vado via. Che sara, che sara, che sara. Che sara della mia vita chi lo sa. So far tutto o forse niente, da domani si vedra, e sara, sara quel che sara. Gli amici miei son quasi tutti via e gli altri partiranno dopo me. Peccato perche stavo bene in loro compagnia, ma tutto passa, tutto se ne va. Che sara, che sara, che sara. Con me porto la chitarra e se la notte piangero, una nenia di paese suonero. Amore mio ti bacio sulla bocca che fu la fonte del mio primo amor, ti do l'appuntamento dove e quando non lo so, ma so soltanto che ritornero. ―――――――― イタリアのサンレモ音楽祭で1971年に準優勝したこの曲は, イタリアのグループRicchi & Poveriがジャズ風に軽快に, アメリカ移民の盲目のギタリストJose Felicianoが 情感をこめて力強く,歌いました。 さまざまな日本語歌詞によっても歌われ, 革命の詩にしないで, センチメンタリズムに堕ちないで, という声がかつてからありました。 フランス語歌詞のシャンソンでは, 生きる理由として一人の少女の面影のみを繰り返す歌 になっているようです。 心に残るメロディ―には その時代のお国柄が投影されるのでしょう。 原詩は,確かに,故郷を離れる不安のなかで 自己実現を切に願う"ケサラ"でしょう。 |
English (日本語で茶々を入れながら) Che sara My country, which is on that hill spread out like a sleeping old man the boredom, the desertion, the nothing are your illness my country, I'm leaving you, I'm going away 停滞して病んでいる故郷から出ます・・・ これについては,第3フレーズにも。 What will it be? what will it be? what will it be? what will it be of my life, who knows... I know how to do everything, or maybe not, we'll see it from tomorrow on and it will be, will be that which has to be 私の人生はどうなるのだろう, すべて成せるのか,そうでないのか,明日(未来)からしかわからない, とは,イタリア人って論理的ですね。ローマ人の末裔ですもの。 (「何かを成す」か,その裏の「成さない」か,どちらが真であるかは, 後からでないと分かりませんもの) Almost all my friends have left and the other ones will go after me what a shame! I used to enjoy their company but everything finishes, everything goes 人々が出ていくのは, その昔,南イタリア農民の多くがアメリカに移民したり, また1960年代後半からのイタリア経済の衰退も関連しているということです。 Che sara della mia vita chi lo sa. I take my guitar with me, and if I cry at night I'll play a lullaby from my country ギタリストが創った詩ですものね。 My love, I kiss you on the lips which were the source of my first love we have an appointment, where and when... I don't know but I know I will come back イタリアン・カンツォーネでは, いつの日にか故郷あるいは my love のもとへ帰ろう, と締めくくられることが多いようです。 小学校で歌った日本の「故郷」のように。 ――――――― やはり,"ケサラ"という言葉には, 不確定な未来への不安だけでなく optimism も含まれるのでしょう。 でないと,未知の世界へ飛び出していけませんもの。 |
振り返ってみると, 小学生のころの「少年少女世界文学全集」の興味深く美しい多様な物語世界から,「ジェーンエア」「嵐が丘」の情熱の世界を経て 「魅せられたる魂」に魂を揺さぶられました。よく言われるように自我が芽生える14歳前後は変わり目のようです。 以後の中学生生活ではフランス文学やロシア文学の大作を読んでいきましたが,実体験がなかったため,強い印象は残っていません。 中学・高校生のころは,見上げるかのように哲学書や思想書を眺め,硬直化した観念により自分の思考の自由が縛られていることを自覚し抵抗を感じていました。 その束縛を解こうとして,かつての良い子は,いったん本から離れて自分の思考が内から湧き上がってくるのを待とうとする,困った学生になっていきました。 私より(だいぶ前)の世代の理系の方々は,アインシュタインの衝撃を何らかの形で受けているのではないでしょうか。 そのような画期的なアイデアが浮かばないならば理系の分野に携る資格はないと一旦は考えたものの, 凡庸の徒であっても表現の場がないのは耐え難い苦痛であることを思い知り,研究と呼ばれる狭い世界に自らを追いやることにしました。 という経緯のためか,借り物の『哲学』を振りかざす姿勢には違和感を覚えます。 名の残っている哲学者は,過去の哲学を否定するか凌駕するか新しい観念をうち建てるかなど,格闘してきたように思えます。 (「名が残る」ことに特別な価値を置いているわけではなく,そのような著作しか目に触れられなかったので) また,『哲学』をふりかざせば歪んだことも正当化しうるのは20世紀なかばの世界史が示す通り,と独り言がふと頭をよぎります。 凡庸の徒ながらも何かを新たに付加しようと,ただし,形骸化した「観念」に支配されて目前の事実に盲目になることは避けるべく, 事実を積み重ねて仮説を立てることを併行させながら,理論を新機軸となるような方向に適用していく,という2つの方法論を細々と取ってきています。
最後に, (世界はもっと深刻な人権侵害であふれているでしょうから)女権論争に時間を費やすよりも,従事する分野での研究発信を続けることが 結果的に女性の立場の向上につながればと,今まで考えてきました。 しかしながら,東京オリンピック開催に関する騒動の報道を見るにつけ,何が問われているのかさえ気付かなかった上層部男性の多さに危惧感を抱き, 「失言に対する応急手当」に顕れる個別の問題よりも背景は根深いので,「ジェーン・エア」をめぐる追想という形で,2021/05/01分を付加しました。 職業病からか,関連・対比する概念項目(家父長制および家族制)を先に触れたため,前置きが長くなってしまっています。 ちなみに2021年3月の「ジェンダーギャップ指数」では日本は156カ国中120位で,G7中最下位は言うに及ばず大多数の近隣アジア諸国よりも低い。 (女性の就業理由は,「生活上の必要性」から「自己実現」まで様々ではありますが)